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人生朝露

人生朝露

追儺と鬼、追儺と桃。

荘子です。
荘子です。

儺(な)。
「追儺(ついな)」について、もうちょっと補足。

参照:『徒然草』と追儺。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5170/

『公事十二ヶ月絵巻』  追儺。
『徒然草』にも描かれている、平安から鎌倉にかけて宮中行事としてなされていた儀式「追儺」の「儺」は、孔子の時代にはすでに存在していまして『論語』にもあります。

Confucius /Kongzi(孔子・551?479 BC)。
「鄉人飲酒、杖者出、斯出矣。鄉人儺、朝服而立於阼階。」(『論語』 郷党第十)
→村の飲み会では、杖を持った老人が退席してから席を立ち、村の儺の時は、正装をして階段の前に立って出迎える。

元々は村単位で行われていた祭祀で、『周禮(しゅらい)』や『後漢書』では、宮廷行事として記録されています。

≪「方相氏。掌蒙熊皮、黄金四目、玄衣朱裳、執戈揚盾、帥百隸而時難、以索室驅疫」(『周禮』夏官 司馬第四)≫
≪「先臘一日、大儺,謂之逐疫。其儀:選中黃門子弟年十歲以上、十二以下、百二十人為侲子。皆赤幘皁製、執大浅。方相氏黃金四目、蒙熊皮、玄衣朱裳、執戈揚盾。十二獸有衣毛角。中黃門行之、冗從僕射將之、以逐惡鬼于禁中。」(『後漢書』禮儀中)≫

ここに「方相氏(ほうそうし)」という名前がありますが、これが鬼を追い払う役で、「黄金の四つ目」「熊の毛皮」「黒と朱の裳」「矛と盾」「百人以上の従者」等々の共通点があります。↑の絵巻に書かれているのも、実は鬼ではなく「方相氏」で、鬼そのものは、画面の先か、「目に見えないもの」として扱っていたようです。

参照:2011.2.3 平安神宮 節分祭 大儺之儀
http://www.youtube.com/watch?v=KSY6iBLQiEo
平安神宮の「方相氏」は、かなり原典に忠実に再現しています。

今回はもっとマニアックに、後漢の時代に書かれた「蔡中郎集」の『独断』から。
著者の蔡中郎は、三国志にも出てくる「蔡ヨウ(サイヨウ)」のことです。「儺」の儀式は、断片的な記録が多いんですが、蔡中郎の『独断』はまとまって載っているので便利です。

蔡?(Cai Yong 133~192)。
「疫神:帝顓頊有三子、生而亡去為鬼、其一者居江水、是為于是命方相氏黃金四目。其一者居若水、是為魍魎。其一者居人宮室樞隅處、善驚小兒。于是命方相氏黃金四目、蒙以熊皮、玄衣朱裳、執戈揚楯、常以歲竟十二月從百隸及童兒、而時儺以索宮中、敺疫鬼也。桃弧棘矢土鼓鼓、旦射之以赤丸、五穀播灑之以除疫殃、已而立桃人葦索、儋牙虎神荼、鬱壘以執之、儋牙虎神荼、鬱壘二神:海中有度朔之山、上有桃木蟠屈三千里卑枝、東北有鬼門、萬鬼所出入也。神荼與鬱壘二神居其門、主閱領諸鬼、其惡害之鬼、執以葦索食虎、故十二月歲竟、常以先臘之夜逐除之也、乃畫荼壘并懸葦索于門戸以禦凶也。」(『独断』巻上)
→疫病の神:帝顓頊(せんぎょく)には三人の子供がいたが、この世を去ってから鬼となった。一人は江水にいて瘟鬼(おんき)となり、一人は若水にて魍魎となり、また一人は宮室の隅に巣食っていて子供を驚かすのを楽しみにしている。そこで、十二月の一年の境に、黄金の四つの目の面と熊の毛皮を被り、黒と朱の衣をまとい、矛と盾を持ち、百人の下僕と子供達を引き連れて、宮中の疫鬼を追い立てるように方相氏に命じた。桃の弓に棘の矢を番えて土鼓を打ち鳴らし、赤玉を投げ、五穀を撒いて疫病の元を除く。桃の枝を結んだ葦索(いさく)を神荼(しんと)、鬱壘(うつるい)の神として立たせる。
 神荼(しんと)と鬱壘(うつるい)の二神:東海の度朔山には、三千里も曲がりくねった枝を茂らせた桃の巨木があり、その枝の東北に「鬼門」があり、よろずの鬼がそこから出入りするという。神荼と鬱壘の二神はその門に立ちはだかり、もろもろの鬼を検閲して、害をなす鬼は葦縄で縛り上げて虎に食わせるのだそうで、毎年、一年の境目の十二月の大晦日の夜中に、これらの悪鬼を追い払い、神荼と鬱壘の葦索(いさく)を門前にかけて凶事から家を守ろうとするようになった。

参照:中国哲学書 電子化計画 『蔡中郎集』「独断」
http://ctext.org/text.pl?node=648760&if=gb

帝顓頊(せんぎょく)の伝説から始まり、方相氏のいでたちや儀式の進行についても詳しく載っています。「五穀播灑之以除疫殃」などというのも、豆を撒いて鬼を払う現在の日本の「節分」に近い描写です。後半部分には、かつては『山海経』にも載っていたといわれる、陰陽道でおなじみの「鬼門」も載っています。

荘子 Zhuangzi。
『故出而不反、見其鬼。出而得,是謂得死。滅而有實、鬼之一也。以有形者象無形者而定矣。出無本、入無竅。有實而無乎處、有長而無乎本剽、有所出而無竅者有實。有實而無乎處者、宇也。有長而無本剽者、宙也。有乎生、有乎死、有乎出、有乎入、入出而無見其形、是謂天門。(『荘子』庚桑楚 第二十三) 』
→故に、出ることばかりをして帰ることがなければ、その鬼を見る。外に出て是を得るというのは、死を得るという。滅してもその実体があるのは、鬼と一となったものだ。形あるものが形なき世界に象られている時に心が定まる。出現すれどその源はなく、無に帰すれども入るべき穴もない。無限に広がりながらどこにあるかもわからず、時の長短があれども始まりも終わりもない。無限に広がりながらどこにあるかもわからないものを「宇」といい、時の長短があれども始まりも終わりもないものを「宙」という。あるいは生、あるいは死、あるいは出、あるいは入。出入りしながらもその形がみえないもの、これを天門という。

この「鬼門」は、荘子の宇宙観(「宇宙」は道家の用語)に近い形質があります。

厄除桃 京都・晴明神社にて。
で、もう一つ注目しておきたいのが、「鬼」とセットになっている「桃」です。「儺」の儀式において、古い漢籍の書物では、桃の弓であったり、桃の人形を作ったり、桃の精である鬱壘(ちなみに神荼は葦の精)を祀るといった風習が描かれています。日本の宮中の「追儺」の儀式では、日本の道家思想家・陰陽寮が深く関わっておりまして、同じく桃の弓や桃の杖を使っています。代表的な陰陽師・安倍晴明を祀る京都の晴明神社の門前にも「厄除桃」のオブジェがありますが、これも凶事を祓う意味です。

また、前記『独断』にある「桃木蟠屈三千里卑枝」という表現は、いわゆる不老不死の仙果である「蟠桃(ばんとう)」のことでしょう。

蟠桃(ばんとう)を食す斉天大聖・孫悟空。
『西遊記』で孫悟空が盗み食いをしたのがこの蟠桃です。物語の中では、一つ食べただけで、三千年の長寿を得られるとされ、この桃をたらふく食った御利益で、このお猿は死なない身体になってしまいます。

亀仙人と桃、Enter the Dragon。
ちなみに、「桃」は、『カンフー・パンダ(功夫熊猫)』の映画でも象徴的に使われておりましたが、テレビ版では、亀仙人の窮地を救う、悪魔を祓う聖なる木として描かれておりまして、世界中の子供達が「中国では桃は聖なる木なんだな」と理解する時代になっております。

参照:Kung fu panda - Enter The Dragon
https://www.youtube.com/watch?v=iNONj1tzYmA

The Illusion of Control
https://www.youtube.com/watch?v=DLpUev1FvS0

桃というのは、果実の香りや味のみならず、花や、その成長の過程、人間との関わりをふくめた営みから「生命の象徴」という意味あいがありまして、そこから「不老不死の果実」であったり、「鬼を祓う植物」という観念が生まれたようです。

日本で言うと、最も親しみやすいのが「桃太郎」です。明治までの「桃太郎」のお話では、おじいさんとおばあさんは桃の実を食べて若返り(回春し)、おばあさんが実際に桃太郎を出産するというものでして、両方の要素を満たしている構図になっています。ちなみに、お猿が聖人のお供になって旅をするのは『西遊記』や『ラーマーヤナ』と同じで、アジア全体から見て普遍的なものです。

参照:Wikipedia 桃太郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E5%A4%AA%E9%83%8E

・・・さらに遡ると、『古事記』において、黄泉の国の軍勢に追われて黄泉比良坂(よもつひらさか)まで逃げてきたイザナギの窮地を救ったのも桃の実です。

黄泉比良坂(よもつひらさか)。
「且後者、於其八雷神、副千五百之黃泉軍令追。爾拔所御佩之十拳劒而、於後手布伎都都。逃來、猶追、到黃泉比良。坂之坂本時、取在其坂本桃子三箇待擊者、悉逃迯也。爾伊邪那岐命、告其桃子、汝如助吾、於葦原中國所有、宇都志伎、青人草之、落苦瀬而患惚時、可助告、賜名號意富加牟豆美命。(『古事記』(神代記))」
→その後、八柱の雷の神は、おおよそ千五百の黄泉軍の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)を追うように命じた。伊邪那岐命は腰に帯びた十拳劒(とつかのつるぎ)を抜いて、後背を払うように走って逃げたが、黄泉の軍勢はそれでも追ってくる。ようやく、黄泉比良坂までたどり着いたところで、その坂元にある桃の実を三つもいで、追っ手を引きつけてから投げるや、黄泉の軍勢はことごとく黄泉国へ逃げ帰った。伊邪那岐命はその桃の実に向かって「汝、吾を助けた如く、葦原中国(あしはらなかつくに)の人々が苦境にあえぐとき、彼らを再び助くべし。」と告げ、桃の実に意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)という名を与えた。

『記紀』の成立の前提として、もともと道家思想、というべきか、神仙思想や道教の影響というのが強いんですが、どうも、文字記録としての書物よりも早い段階で伝播した要素もあるようなんです。

参照:奈良・纒向遺跡で大量の桃の種 邪馬台国の有力地  
   2000個超、祭祀に使用か (日本経済新聞 2010/9/17)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASHC1701V_X10C10A9000000/

参照:荘子のいるらしき場所。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5071/

今日はこの辺で。


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